図書室の彼女

    俺は今日、鈴村雪凪に告白する。

 今日こそ絶対に、告白してみせる。

 彼女は、隣のクラスの図書委員で俺の大好きな人。綺麗に切り揃えられた前髪、羽のように見るからにふわふわな黒い髪。笑顔は天使のような、そんな女の子。俺は高一の時、友人と訪れた図書室でカウンターに座っているのを見かけた時から好きだった。いわゆる一目惚れだ。

 それから彼女に会いたいがために、特に用もないけど図書室に通うようになった。

「何を読もうかな」なんて、いかにも本目当ての人みたいに呟きながら本棚を眺めつつ、たまに横目でカウンターを見る。本を読んでいる彼女の横顔は儚げで、可愛いというよりも、美しいという感じだ。本当はもっと近づきたいけれど、俺は本のことなんて全然知らないし、話しかける口実が見つからない。どうしようかと悩んでいると、声をかけられた。

「何かお探しですか?」

 気がつくと目の前に彼女がいる。

「あっ、えっと」

 いざ話すとなると、緊張してどうしたらいいのかわからない。俺は、とりあえず近くの本棚にあった本を見て「え、江戸川乱歩! 江戸川乱歩のオススメの本ってありますか?」と、とっさに言った。彼女は少し驚いた顔をしている。

 失敗した……すごく必死なやつみたいになっちまった。これは引かれたよな……

 彼女は俺の心配をよそに、「江戸川乱歩、お好きなんですか?」と言って天使の羽のようにふわりと笑った。どうやら引かれてはいないようだ。

「いや、あんまり読んだことないんで読んでみようかなって」「そうなんですね! 江戸川乱歩だったら、『目羅博士の不思議な犯罪』とか『人間椅子』とか面白いですよ」そう言って棚から本を出して俺に渡してくれた。「もしよかったら、読んでみてください」「ありがとう」「いえいえ。ではまた何かあったらいつでも声をかけてくださいね」そして彼女はカウンターへ戻った。

 可愛すぎるだろ……控えめに言って天使だよ、あの子。ふわりと笑った笑顔、透き通った声、全てが可愛い。もっと彼女のことを知りたい。そう思った俺は、彼女に教えてもらった本を借りて行くことにした。

 

 三日後の放課後、俺は借りていた本を持って図書室へ行った。彼女は今日もカウンターにいる。

「この本、すごくよかったです」

「本当ですか!」

 彼女は微笑んでそう言った。それから、本の話をいっぱいした。彼女は、全然本のことを知らない俺に嫌な顔を一つもせずに色々と教えてくれた。本のことを知るのは彼女のことを知ることのようで、すごく嬉しい。俺たちは、最終下校のチャイムが鳴るまで話し続けた。

「ごめんね、つまんなかったよね」「そんなことないよ。知らないことばっかりで面白かった」「本当に! よかった……」彼女は、心底安堵した表情をした。

 俺は今日すごく楽しかった。だから「また、話したいな」と言おうとした。だけど言いかけてやめた。

 俺にはそんな勇気がなかった。

 勇気はなかったから言えはしなかったけれど、今日も会えるかもしれない、話ができるかもしれないと淡い期待を描きながら、最後のホームルームが終わってからすぐに図書室に向かった。

 帰ろうとしてる人、部活に向かう人の波に逆らいながらできるだけ早歩きする。会えるかもわからないのに、こんなことをしているなんて自分でも驚いている。今までは、放課後になるとすぐに家に帰っていたというのに。『好き』という気持ちだけで人の行動は変わるものなんだな、なんて思った。

 図書室の中は、あまり人の気配がしない。扉からへばりつくように覗いても誰かいるようには見えなかった。

「今日は、いないのか」残念に思いながら扉から離れると、そこには閉館の文字があった。

 そもそも閉館かよ。絶対に会えないじゃん。

「やっぱり昨日言っておけばよかった」

 俺は昨日の勇気がなかった自分に、少し腹がたった。なんで言わなかったんだよ、この意気地なし。

 そんなことを思っていたってここにいても仕方がないことはわかっている。会えるわけじゃないとわかったんだから帰ろう。「あれ、佐藤くん? どうしたの、こんなところで」帰ろうと思って振り向いたら、会いたかった彼女がいた。


「えっと……」

 言わないと。今日は彼女に会いたいからここに来たんだろ。

「すっ、鈴村と話がしたくて」

「えっ、私と?」

「そう、その、昨日楽しかったからさ、またいろんな話聞かせてほしい…… というか、鈴村のこともっと知りたいっていうか……」だんだん恥ずかしくなってきた。こんな告白に近いことを言うなんて。

「そうだったんだね。私も話したかったから嬉しいよ」

 あれ、気づいてない?「ここに来たら、なんとなく佐藤くんと会える気がしたんだ」会えてよかった。なんて、彼女は笑いながらイケメンみたいなセリフを言った。

「ねえ、せっかく会えたんだし図書室で話そうよ」

「いや、でも、今日図書館は閉館らしいぞ」

 俺がそう言うと、彼女は「ふふふ……」と笑って制服のポケットから鍵を取り出した。

「本が増えて来たから、図書の整理をしようと思って借りてるの。手伝ってくれる?」

「もちろん、手伝うよ」そう言って、二人で話しながら仕事をした。

 そして、その後放課後に会って話をすることが日課のようになった。さらに彼女のおかげで読書量も増え、心なしか国語の点数が上がった気がする。


 それから高校二年生になって、俺は彼女と同じ図書委員に入った。

「佐藤くん、委員会に入ったんだ!」「おう! 去年、鈴村と一緒に図書の整理とかしたのが楽しかったから今年は入ってみようかなって思ってさ」「そうだったんだ! 嬉しい」

 確かに、楽しかったのもあるけれど、鈴村と一緒にいたいというのが正直なところだ。だからそんな純粋な目で俺を見る鈴村に、少し罪悪感を感じていた。ごめんな。

 図書の業務は、思っていたより大変だった。本を棚に戻したり、カウンターで貸し出しと返却の作業をしたり、生徒に配るプリントを作ったりする。こんなことを彼女はいつもやっていたのか。とか色々考えながら日々を過ごしていてふと気がつく。

 彼女に対する『好き』という気持ちが大きくなっていたことに。


 木曜日は、彼女と一緒に仕事をする日。彼女はいつもと同じカウンターにいる。この日は全然人が来なくて暇だった。夕焼けが差し込む図書室で俺は彼女にこう言った。

「なあ、その、鈴村って好きな人とかいる?」唐突すぎただろうか。最近、彼女のことばかりが気になっているからといっても、この質問は避けるべきだっただろうに。

「えっ?」彼女は戸惑っている。夕焼けのせいだろうか、顔が少し赤く見えた。

「その、好きな人、いるよ」

 彼女からは、あまり聞きたくない言葉だった。まあ、この質問をした自分が悪いのだけれど。

「そっか、ごめんな、急に変な質問して」

「ううん、全然いいよ。その……佐藤くんは、好きな人、とかいるの?」

「えっと、い、いるよ。俺も」

 気まずいことになってしまった。

「そ、そうなんだ」

 この日は、こんなギクシャクした感じで終わってしまった。

「鈴村、好きな人いるんだ」

 家に帰って、さっきのことを思い出していた。

 サッカー部のイケメンのことだろうか、それとも同じ委員会の先輩だろうか。考えているうちに不安になっていった。ずっと好きだったのに、取られてしまうような気がして。

 そして「よし、明日告白しよう」と決心をした。

 明日のことを考えるとなんか緊張する。頑張ろう。


 次の日。俺は緊張しながら学校へ行った。

「大丈夫、大丈夫シミュレーションはバッチリだから」呪文のように呟いていると友人に心配されたけど、そんなことは全然気にならない。緊張の方が大きかった。

 告白する流れはこうだ。

 ①放課後に図書室へ行く。(できるだけいつも通りに。自然な感じで)

 ②人が少ない時を見計らって告白。

 以上。誰がなんと言おうとこれで以上なのだ。不安になるくらい計画がざっくりしているけれど、恋愛経験がほぼゼロに等しい俺が考えられるのはこのくらいが精一杯だから。

 ということで、この計画を実行するために放課後になるのを待った。


 緊張で授業も全然身に入らないまま時間は過ぎ、気がつくと放課後になっていた。ついに、この時間が来てしまった。

「よし、行くか」

 気合いを入れて、図書室へ向かった。

 まず結果から言うと、失敗した。

 緊張のしすぎで彼女に不思議がられるし、結局『好き』と言う二文字は言えなかった。なんで自分はこの大事なときに伝えたいことをちゃんと言えないのだろう。自分の不甲斐なさに落ち込みながらも、明日こそは、必ず告白してみせると心の中で固く誓うのだった。

 そして俺は校門を出て、帰るために家へと向かった。


 俺は今日、鈴村雪凪に告白する。

 今日こそ絶対に、告白してみせる。


 朝はなぜか騒がしかった。

 両親が正装をしていて不思議に思ったが、学校に遅刻するわけにはいかないのでもう家を出ることにした。

 学校に着くと、そこもなんだか騒がしかった。どうしたのだろうか。

 なあ、何があったんだ。

 そう言っても、返事はなかった。聞こえていないのだろうか。

 教室に向かう途中、彼女に会った。

「鈴村、おはよう」

「えっ、佐藤くん。本当に佐藤くんなの?」

「うん、そうだけど? まあ、そんなことよりみんなどうしたんだ? なんか騒がしいけど」

「それは……」

 彼女は言いづらそうにして、何も言わず俺の教室を指差した。

 そこには、泣いている人、辛そうにしている人、何かを嘆いている人がいた。

 そして俺の机には、花が置いてあった。

 なんで俺の机に花なんて置くんだよ。俺はまだ──

 そう言って気がついた。両親が黒い服を着ていた意味と、彼女に挨拶をしたときすごく驚かれたことの意味に気がついた。そして思い出した。


 俺が昨日の帰り道で事故にあって、そのまま死んでしまったことを。


「もしかして、私が佐藤くんに会いたいと思ったから神様が最後に会わせてくれたのかな」彼女は涙目になりながら俺にそう言った。

「実はね、初めて会ったときから佐藤くんのことが好きだったの。だけど告白する勇気が出なくて結局伝えられなかった。」

 俺は驚いた。そして後悔した。やっぱり昨日ちゃんと伝えておけばよかった。

「だから、今伝えるね」


「大好きだったよ、佐藤くん」


俺の初恋は、こうやって幕を閉じた。



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